ヨガのイントラ資格を取得してはいるものの、哲学領域には苦手意識から踏み込んでいなっかたので、初めての参加にドキドキ、、、、
まず受講感想として、慣れない横文字のオンパレードで頭の中はパニック!!!学生時代を思い出すような頭をフル回転させながらの3時間でした。
これは1回では理解は難かしい〜〜〜(_ _).。o○。
今回のテーマは、
⑴インド哲学における『真実』とは?
⑵火のヨーガと止のヨーガ
⑶タントラのヨーガはプージャの発展
⑷『悟りは身体に具わっている』という思想
「皆さん、この世で不思議と思うことはなんですか?」
との質問からスタートし、
- 生命
- 死んだらどうなる?
- 自分
- 心
- 宇宙
と参加者の方から声がありました。
人間の永久の課題であり、答えは出ないでしょうね、、、、
『物質が先か精神が先か』
ですが、先人たちはこれらについて昔からずっと考え、その答えを何かしら形にしようとしてきています。
そしてヨガもその具現化の一つではないでしょうか。
現在私たちが行っているヨガは、1920年代にクヴァラヤーナンダという人が、ハタ・ヨーガの三大聖典や西洋の体操や医学、アーユルヴェーダなどを集成して西洋人でも理解できるようにプラーナ(心と関わりのある、呼吸することで体内に宿る生命エネルギー)の概念を捨てた実証性のあるYOGA(近代ヨガ)として創作したもので、聖典に記されたポーズとは同名でも大きく異なっているものがとても多いそうです。
ただ、シャトカルマ(六浄化法)は正確に復元されており、ヨーガセラピーとして伝授されているようです!
本来のハタ・ヨーガはナータ派という一宗派のヨーガでありとても難しかったが、多宗派に採用されていき雑多な教えが混じり形が変わりつつあった。そんな中17世紀に一国の王がホンモノのハタ・ヨーガを教えてほしい!と正統派のゲーランダ師に教えを求める。
多忙であった王でも簡単にできるように生まれたのが、『ラージャ・ヨーガ』=瞑想的、自身の内なる部分を寺院などに見立てて礼拝するスピリチュアル的なサマーディ(悟り)の境地のヨーガなのです。
ハタヨガの原理『マナスのある所にプラーナあり』を、伊藤先生の独特の感性でイラストにしたものが、目を閉じた鳥の頭に目玉おやじが方向を指示しているものです。
ん?あの有名な妖怪のイラストに似ている、、、、?!
少し書いただけでも、横文字オンパレードです!
このあとも、講義内容書いたらすごいページ数になってしまうので、
ここからはできるだけ簡単にまとめていきます。
ヨーガができるまで
私はブラフマンと聞くとロックバンドを思い浮かべてしまいます。世代がわかりますね。(笑)
儀式で呪文を誦える事とその効力のことを意味していたが、時代と共に表現が変わり、現在では永遠不滅なものをブラフマンと称しこれこそが真実であり実在であると言う、
『私=アートマンでありブラフマンである』と悟るのがインド思想
『完全円満からは完全円満が生まれる』
・・・・・・・
と正にこれこそが哲学な表現。
う〜〜〜奥が深い、、、、、、、
天井にいる神にギーで護摩を焚き、お供え物を受け取り満足したら願いが叶う=ブラフマン
この儀式を自身の身体に置き換えて効力(エネルギー)を発揮させようとしたものがヨーガの始まり。
人間の精神的部分と物質的部分を五つの要素に分けた考え方で、色(しき)(=肉体)・受(=感覚)・想(=想像)・行(ぎょう)(=心の作用)・識(=意識)と表現する。
ここでこの関係図をまたまた伊藤先生の独創から生まれたイラストがこちら↓
精神(心)部分をパンダと猫と猿の動物で表現しているところが斬新です!
『ヨガとは、心の活動を止めない限り真実は見えない』この考えを物質的に伝えるものとして神=お釈迦様(ブッタ)の存在が生まれる。
次第に神を祀る儀式が変わり始めて、プージャという食事を絡めた「ままごと」的な屋内(寺院)で行うルールのあるものになる。
寺院と神を簡単に表したものが下の写真の四角いの中に花の様なものが描かれたもの。
これは、神の種類によって中に描かれる模様が変わります。これはおもしろいですね!
自身の身体に「チャクラ(神のいる場所)」を感じ、現実的なものより抽象的なものの方がより高級で難しいという『ハタ・ヨーガ』 の原点が生まれる。
自然な状態。誰にも備わる母なる自然の力を引き起こす。大自然や宇宙と調和して生きる1本の木から幹があちこちに伸び、それがさらに根を張り大きな森化していき、巨大なエネルギーとなる。
儀式を行うことで神にマントラを唱えてその恩恵で願いが叶うという考えから、その儀式行為を自らの身体に置き換えて行う形がヨーガであり、
ハタ・ヨーガは身体に悟りが具わっているという考えで行うもの
これこそが、哲学的ヨーガの思想なのです。
伊藤先生曰く、昔からの伝統的なヨーガは、インドよりもバリ・ネパール・チベットの方が残っているということです。
これではレポートがかけない!!と思い、同室に残っていらっしゃった参加者の方に声をかけ、ノートを見せてもらったり、感想を聞いてみました。
などの声がありました。
半分くらいの方が先生の著書を持参しており、著書を熟読された上で、色々疑問に感じられた事に対して質問されている方や、合間にサインをもらっておられる方がちらほらいらっしゃり、とても伊藤先生は支持されていることが見受けられました。
今回レポートを書く上で、ノートをしっかり見返し、先生のブログを拝見し、言語をググり、漸く少し内容がつかめました。
難しく踏み込みにくい哲学ではありますが、生きていく上で常に密接していることでもあり、少しずつ歴史などを読み解いていくと、面白くなっていくのも哲学。
『卵が先か鶏が先か』
ヨーガ哲学書を読んでいなくても、講義後に読んで内容をすり合わせていくのもありです。
もちろん、著書を読んでからの参加はさらに内容の理解が深まり、謎も深まり。
ヨガの生まれた背景・意味・あり方を知り、現代で行われているスポーツ的なヨガは、本来のヨーガのあり方とは随分かけ離れている事を再認識しました。
どういう思いでヨガに向かうか。
人それぞれの捉え方があってよいのだと思いますが、バックグランドを知った上で行うのとそうでないのでは、取り組み方も変わってくるのではないでしょうか。
面白い学びの時間でした。