第10回「言葉」

第10回「言葉」
みなさまごきげんいかがですか?
ピラティス指導者のGingerです。

新年が厳かに始まっております。
晴れの日が続いて心地よかったですね。太陽の力がありがたかったです。2日にはきんと冴え渡った藍色の空に満月が神々しく、宇宙の神秘を感じました。
太陽の暦では新年ですが、月の暦では立春が新年。今はまだ師走にあたります。
せっかく新暦と旧暦の両方を楽しめる私たちですから、二十四節気に親しむことで自然の移り変わりをより一層愛でるようにしたいものです。

みなさまはどのようなお年始を過ごされましたか?
私は久しぶりに実家にて家族とのんびり過ごしました。
初詣はいつも産土神様へご挨拶に行きます。とても小さな地元の神社ですが龗神おかみのかみが祀られています。おかみとは龍、つまり龍神様です。龍は水とのご縁が深い神獣です。私にはとても合うようで、訪れると心が鎮まります。
初めて訪れた場所なのに懐かしく感じたり、ほっとしたりする時は、万物は同根であるということや輪廻を思ってしまいます。また、土地だけではなく場所や空間、人でさえどこか初めての気がしなかったり安心感が得られるということが実際にありますよね。嬉しいことです。
説明のつかない寂しさや物哀しさ、不安な夜に心を落ち着かせてくれる電話の声やメッセージ。そんな存在がこの世界(もしくは宇宙)でたったひとつあるだけでも勇気が湧いてきます。私は去年「大丈夫」の一言で何度か負の感情に陥るのを免れ、病気も怪我もなく一年を過ごすことができました。言葉の力の大きさを感じずにはいられません。
私が日常生活、そして仕事の上で大切にしているのも言葉の力です。今回のコラムでは『言葉』についてアーユルヴェーダやピラティスの視点で書きたいと思います。
いつものようにお茶を片手にお気軽にお付き合いいただければ嬉しいです。
image4 さて『言語化することの重要性』や『言霊』についてですが、私は初詣の神社で「◯◯でありますように!」「◯◯になりますように!」とお願い事をしている人が多いことに気づき、言霊について考えました。
お祈りはお願い事ではありません。
言葉に息吹を与えて音として発することは言葉に力を与えます。心から望むことを現実のものにするために「◯◯をやり遂げる!」という積極的な意思表明をすることで神様がお手伝いをしてくれます。
私たち日本人は古来から神様を大自然の中に見出し、それらを畏れ、愛し、感謝し、共に生きてきました。八百万の神という考え方が私はとても好きです。日常生活のなかで神様と親しくなり、自分の力が足りないと感じる時や氣が枯れた時に神様に少し助けてもらいます。祈りは日常に自然の恩恵や生かされていることを感じ、その感謝を言葉として発することもそうだと思います。
私には敬愛するお方がいるのですが、その方は例えばふとした時に誰に言うでもなく「ありがとうございます。」と口にされます。それはご自身の身体や感覚、天地などであるように見えます。どうやら何かその方の中に気づきがあった時に『教えて下さってありがとうございます。』というニュアンスで仰っているようで、私の目にはその行為がとても美しく映るのです。

日本語の一音は、母音と子音が組み合わされて出来ていますが、この音には大きな力があると言われています。母音が天や神、子音が地や肉体に属するのだそうです。そのため自らの想いを言葉に乗せて発することは言葉に力を与えます。それが言霊です。例えば『鏡開き』という言葉。依代よりしろの鏡に見立てた丸いお餅を切ったり割ったりするのですが、いわゆる忌み言葉である『切る』『割る』を避けて『開く』という縁起の良い言葉に変えているのです。
言霊は臍下丹田から力強く抑揚をつけずに発すると良いそうですから、臍下丹田を意識した呼吸法は普段から習慣にすることがおすすめです。ピラティスは腹式呼吸よりも胸式ラテラル呼吸と呼ばれる、お腹を膨らませずに空気を入れ替える呼吸法を多く用いますが、鼻から吸った息を口から細長く吐く際に、坐骨や足の裏から吐き出しているイメージを持つと臍下丹田のあたりに力が充満してくることを感じやすくなります。
運動競技や芸能、何をするにせよ呼吸法はすべての土台となります。呼吸によって新鮮な酸素が細胞中を駆け巡り、氣血水をめぐらせます。アーユルヴェーダでは空と風のエネルギーであるヴァータが整うと残り2つのドーシャが整い易くなります。たとえヨガやピラティスを行わない人であっても呼吸法は日常生活に必ず役立ちます。(氣血水についてはコラム第8回、ドーシャについてはコラム第9回で少し触れています。よろしければご参照下さいね。)
image6 『ヴァークタパス वक्तपस्(言葉の修行)』というものがあります。それは自分の考え、言葉、行いを正し、また律する修行です。他人を傷つける言葉や嘘、マイナスな言葉を口にせず、慈愛のある、優しく、気持ちのよいプラスの言葉が口から出ていくように言葉をコントロールすることに努めます。ついうっかり、が無いように注意深く言葉を修めることが肝心です。
悪口や不平不満は他人と自分を比べてしまう気持ちから生まれます。自分が自分に満足していれば他人のことを羨んだりする必要はありません。人に与えられた役割は一人一人違いますから、この世界で自分が与えられた身体と役割を認めて果たしていくことに真摯であれば他人のあら探しをする心の弱さは手放せます。他人を悪くするような発言や考えは、視点を変えれば自らの未熟さや器量の狭さ、無知を認めていることと同じです。罵詈ばり雑言ぞうごんは相手よりもむしろ自らの品格をおとしめます。粗悪な心の使い方や考え方をしていれば当然身体もその心の質に見合ったようになっていきます。
自らの課題にひたむきな人は、他人をジャッジする暇など無いのです。努力の継続は自信につながります。そして、他人の素晴らしい面を素直に認めて褒めることは積極的に行いましょう。
心だけではなく身体を整えることも大切です。自らの心身が健やかであれば、余裕が生まれます。余裕は落ち着きとなり、他人をありのままに受け入れることが簡単になります。
image8 幸福は何かと考えた時、私は与えられた時よりも誰かと何かを分かち合えた時の方がより幸せだと感じます。こんな私でも誰かのお役に立てたと思うと嬉しいのです。コラム第9回で『無財の七施』について触れましたが、言葉一つ、笑顔一つで他人の心が晴れることはあります。例えば産まれたばかりの赤ちゃんが、ただ笑顔で生きているだけで、どれだけ力強く勇気をもらえることでしょう。

願うことは力。夢を持つことで心は活気づきます。
しかし、願うばかりでは物乞いと同じです。いつでも他力本願で、物や人、外にばかり答えを求めている人は、何も与えることができません。お互いがお互いの存在に、真実に感謝と喜びを感じてそれを相手に伝えれば、この世界で私たちは調和を成していけることでしょう。与えられるものの貨幣価値の大小や物質量の多少は問題ではなく、自分が持ちものをいつでも快く手放せる、執着心と無縁でいる、他人の喜びを自らの喜びと出来る心の素直さ、困難の中でも感謝を忘れない人こそが真に強い人と呼べるのかもしれません。
もし自分の力が足りないと感じ、マイナスの考えに陥りそうになったら大自然の加護の中にいる自分を思い出しましょう。祈りは光を連れて来てくれます。
そして知行合一を心に留めて「頭で知っている」ことを行動に変えて本当の知識としていきましょう。

寒さの緊張感が清々しい季節。呼吸が入れ替わると心地良く、身体を日常的にしっかりと動かすことが出来る環境をありがたく思います。
また今年もより一層学びを楽しみ、みなさんの心身の健やかさに少しでも貢献できるように努めてまいります。
ではまた次回。


profile PROFILE : Ginger(じんじゃ~)

  • アーティスト
  • マットピラティス/TYE4®指導者
  • アーユルヴェーダ セルフケアアドヴァイザー
  • 英国にて衣装デザイン/制作を学び、デザイナーとして様々な身体表現者たちと関わる中で心身の不一致を感じ、そのコントロールへの興味を深める。
    帰国後、ピラティスに出会い指導者に。アーユルヴェーダや東洋医学、薬膳の智慧を取り入れ、老若男女、プロの役者、ダンサー、武道家など幅広く指導。
    個々人自らが『感じる力』を磨くことを何よりも重要視している。
    英語でのレッスンや海外講師の通訳、人体経絡図の挿絵など、ピラティスと英語・アートをリンクさせた活動も積極的に展開している。
    近年はピラティスという分野を超えて『今、自分自身が発する呼吸(言葉)と想い、そして行動がすべて気持ちよく一致しているか』を大切に指導を展開中。
    Instagram: @ginger_jinjya